日々思うこと日々思うこと日々思うこと 写真

フラワーアレンジメント

フラワーアレンジメントの講習会や勉強会に参加した時は、作品全体じゃなくて、仕事に生かせそうなパーツを覚えて葬花に反映させている。世界的に有名な外国デザイナーの作品を見たけど、日本古来の“生け花”に通じるエッセンスがあるんだよね。突き詰めていけば洋の東西に関係なく、美の到達点は同じなのかもしれないと思うよ。

“盛り花”の順番 吉池

祭壇に飾る“盛り花”があるでしょ。親戚一同とか○○会社って札付けて置くんだけど、「いい場所に置いてね」ってよく言われる。会社や商店のPRも兼ねるからなんだけど、それはよく分かる。疑問に感じるのは依頼主が外部の花屋に注文して、その花屋の従業員が「いい場所に置いてください」っていう場合。外注だと故人や遺族とどんな関係の会社なのかがこっちには分からないのに、そう注文する。喪主さんに聞いたっていいけど、喪主さんにだってそんな順番は決められない。順番なんてあるのかな、どんな順番で置いたら「いい場所」って感じるんだろう。

弔電紹介って必要?

弔電紹介って誰のためにするんだろうね。葬儀に参列しない人間の名前なんか、わざわざ読み上げる必要ないと思う。そんなことのために、故人を偲んで駆けつけた人たちの時間を潰すのは失礼だよ。遺族に後でゆっくり目を通してもらえれば十分じゃないのかな。

親切?合理的?近頃のお香典事情

地域の住民で香典の価格を一律にしたからって、香典返しにまで口を出すのは馬鹿な話だ。1,000円しか包んでないから香典返しは500円のものをよろしくなんて、喪主に失礼だし香典本来の意味がなくなっている。その逆で「こんなに包まれると困る」って言い出す人もいる。私なら、故人のために包んだんだから余計なお世話だと言うね。

お葬式・今昔

葬式は「出す」って言うでしょ。結婚式は「挙げる」「行う」なんて言うけど「出す」とは言わない。これは「送り出す」って意味だと思うんだけどね。
葬儀屋って職業がなかった時代は、親族がまとまり、近所の手を借りて葬式を出したけど、今は葬儀屋がたくさんあるから選択肢も増えた。その分サービスや特色を打ち出さないと生き残れないこの時代、便利だけどビジネスライクになりがち。遺族側も一から十まで業者がやってくれると思い込んでいて、やらないと『サービスが悪い』なんて言われる。かけがえのない人を「皆で送り出そう」っていう、葬式本来の気持ちが薄れてきているよね。

お坊さんも人間だよ

住職にもね、色んな人がいる。見ていて思うのは、仏さんのことを第一に考えるお坊さんは、口うるさいんだ。心がこもるからそれだけ真剣になる。出来るだけのことをしたいっていう気持ちの表れだと思うよ。

ホントは継ぎたくなかった

私は小学2年生まで父親の仕事を手伝って、葬式がある家まで出向いて花を飾ったりしたよ。その家のお婆ちゃんにおにぎりをごちそうになったりしてね、旨かったなぁ。子供のころはとにかくこの仕事が嫌で嫌で、絶対に継ぐもんかって思ってたね。
私みたいに葬儀屋の二代目、三代目っていうのは皆そう思って育ったんだよね。今よりも職種的に世間から下に見られていたし。でも結局この仕事を継いで思うのは、よく知っているからこそ「嫌だ」と思う私らと、儲かるからって始める素人では、根っこの部分が違うってこと。いろんな意味での思い入れの深さがね。私は息子に継いでもらおうなんて思ってないよ。ホントに。

気になるお金の話し

うちではセット料金で見積もって、お客様の希望を聞いて足りないものを付け足すようにしているんだけど、最近まで"内容が不透明"を理由に、セットはやってなかった。でも、それだとロウソク一本、線香一箱から数を決めて計算しなきゃならない。そんなの心労の遺族にさせるのは嫌でしょ。必要最低限のものは全部付いているセットは、やっぱり安心だからね。
祖父の代から地域に密着して堅実にやってきたからこそ、今この仕事を続けていられるんだよね。金儲け主義の業者もいるけど、悲しみと疲れで判断力の鈍っている遺族相手に、悪どい事やっちゃだめだよ。