【 合掌 】
両手のシワとシワを合わせると“シアワセ”になれると良く聞かされたものですが、感謝の気持ちを表したり、仏壇にお参りする時に自然とこの形になります。 この形を「合掌」といい、葬儀や法要など仏事には欠かせないものです。
合掌の儀礼は古代インドにその起源がありサンスクリット語で「ナマステ」といい現在でもインドでは人と人が触れ合うとき“ナマステ”という声が聞かれます。
仏教では、右手は浄らかな如来のものであり、左手は不浄な自分の手であるとされ両手を合わせることにより如来と自分が一つになった“無”の状態を作り全身全霊をもって仏道に精進する、これが「合掌」の意味です。
したがって、数珠は不浄な手を浄めるという意味から左手に持つのが常識でかの有名なK・H女史が“数珠は男性が左、女性は右に持つ物”とある番組でいったそうですが、完全な間違いです。
【 行年と享年の違い 】
葬儀の時に目にしたり、聞いたりすることのある「行年」・「享年」。実は全く意味が違います。
「行年」とは、亡くなった故人様が浄土に「行った」年齢のことです。表記や言い方は「行年85歳」となります。
「享年」とは、この世に生を「享けて」から何年経ったかを表す時に用いられます。単純に今の年齢に母親のお腹の中に居た10ヶ月を足した数になります。その為、「享年」と表記したり言ったりする場合「歳」をつけたら誤りになります。表記や言い方は「享年85(年)」です。しばしば「享年」は生きている人間に使用することもあります。
【 お彼岸 】
春分の日、秋分の日を「中日」とし、その前後3日間を合わせた7日間を、彼岸といいます。寺院においては「彼岸会」が行われ、善男善女は、墓参りをする習慣があります。
彼岸の語は到彼岸の略で、迷いの此岸(しがん=この世)を去って悟りの彼岸(ひがん=あの世=浄土)に到るの意味です。
それではなぜ彼岸会がこの中日で行われるのでしょう。この日には、太陽は真西に沈み、その方角には極楽浄土がありますので真西に沈む太陽を眺めつつ、ご先祖様を追悼しようというところから春と秋のお彼岸の行事が行われるようになりました。
【 お団子が七つのはなぜ??? 】
一概には言えませんが(宗派によって異なる)、四十九日までの間故人はこの世で仏様のお弟子さんになるための修行を積んでいます。その間故人様を守ってくれるのが六地蔵と言われます。(六地蔵とは、全ての生あるもの(衆生)の生前の業因の度合によって、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅(阿修羅)道、人間道、天道までの6つの迷いの世界(6道)がありますが、この生死を6道のそれぞれにあり、衆生の苦悩を救済するという6種の地蔵菩薩が六地蔵です。)その六地蔵に一つずつ、そして残った一つは故人様に備えるものとされています。葬儀後七日ごとに七本塔婆から塔婆を一つずつ持っていく時に、お団子も一個ずつ持っていきます。
宗派によっては13個であったり、49個であったりする場合もあるのであしからず・・・
【 お浄めの塩 】
昔からお浄めに使うのは塩とされていましたが、本来仏教では、お浄めに使うのはお香の煙とされています。塩でのお浄めは神道の儀式なのです。昔から神道の儀式が根付いている地域では仏式でも塩をと考えている方もいらっしゃいますが、本来はお香の煙を使います。
また、案外勘違いをしがちな点で、お浄めをするのは故人様が汚れているからと思われがちですが、本来故人様は清らかであり生きている人間こそ、様々な欲求に囲まれているため、お浄めをする必要があるといわれています。
【 神棚封じ・仏壇 】
家族の誰かが死亡した場合、死の忌みを嫌う神棚に、白の紙を貼って封印することを「神棚封じ」といいます。この間は神棚は閉ざされていますので、普段のお祭りは中断いたします。
ところによっては、死者を汚れたものとして見放すことはありませんが、葬儀後忌明けまでの間、仏壇を閉ざすところもあります。浄土真宗や日蓮正宗では仏壇の扉を閉めませんが、他の宗派では閉めている場合が多いようです。また、中陰の期間中はお位牌は中陰壇に祭られますので、そちらでの供養が中心となります。